食べたくないものを食べろと強制されるのは虐待でしかない。

独り言

 ここ数日ニュースになっている完食指導で園児が失禁のニュースで感じたことのおはなし

食べることは本能であり欲求である

 人間には、「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」があり、「生理的欲求」には「睡眠欲」「食欲」「性欲」があります。つまり、食べることは欲求であり本能でもあります。つまり本人が嫌がっているのに食べさせようとする行為は、そもそも本能を否定していると言えます。食べることが楽しくなくなれば、当然食事を食べること自体が嫌になり、当然憂鬱な状態になります。

 私自身、小学校の給食で生トマトが食べられなくて、掃除の時間まで担任の先生の監視の下食べるまで席から動けない状態になった経験があります。いまだに嫌な思い出です。

どうしても食べられないのには理由がある

 乳幼児がおもちゃなどを口に入れることがあるのはだいたい知っているかとは思いますが、それは食べられるものか食べられないものかを口の中にいれて判断しているからです。食べれなければちゃんと口から出しますよね。

 それもふまえて嫌いな食べ物がある場合、『ただの食わず嫌い』と勘違いされがちですが、食べ物に生臭さなどがある場合や、過度に甘すぎる場合、ぬめっとした食感のある食材があるなどが原因で、それがどうしても食べれない人は居ます。大人になれば食べられるようになる場合もありますが、子供にそれを強要するのはどうかと思います。

 あと、食物アレルギーの問題もあるでしょう。食物に限らずアレルギーは最悪の場合、アナフィラキシーショックで命を落とす危険があります。そういうことも視野に入れておかないと大変です。牡蠣アレルギーの人が、港町に旅行に行って『それは、新鮮なものを食べてないからだよ、食ってみ』と、科学的根拠のないことを言われたという話も聴いたことがあります。

家庭での歪んだ躾けが傷口を広げる

 私自身の経験ですが、噛み切れない食べ物(スジのあるもの)や魚介類、スイカやメロンなどがどうしても食べられません。とある民宿に泊まった時に、海鮮系のコースの食事が出ましたが、私にはほとんど食べられそうになかったので、何か食べられるものはないか?と思ったら、偶然アボカドがあり、無理して食べました。予感はしてたのですが、それを観た母親が翌日アボカドづくしの食事を出してきました。さすがに食べませんでしたが、ここまで極端なことをされてもだめです。また、幼少期には、弁当を残すと『今後一切弁当を作らないから!』と直に怒鳴られたこともありました。

 そうなってくると、食事は嫌なものになってきますよね。

無理に好き嫌いを直そうとするのを『愛』と勘違いする人達

 これも聞いた話ですが、とある施設で利用者が食べらたくない料理を世話人がわざと出していたことがあったそうです。それを別のスタッフの人が『愛よねぇ』と言っていたそうです。

 『愛』と言えば虐待が許されてしまうのでしょうか?私から言えば許されないことだと思います。

さいごに

 今回のニュースでは、保育園での話ですが、保育園や幼稚園のスタッフは、ちゃんと専門学校や大学などで、やってはいけないことなどを教わっているかと思います。仕事に慣れてしまって、園児たちのメンタルケアを忘れてしまっている場合もあるかと思いますが、それは初心に戻って見た方が良いかなと思います。

 良く芸術家の人は好き嫌いが多いとか言う話を聴いたことがあります。本当かどうかは解りませんが、自分も好き嫌いが激しいので、そういう時になにか発信できたら良いなと思います。

タイトルとURLをコピーしました