私は思いっきり理系な人ですけど、運とかチャンスって確率で推し量って良いのかな?と最近は思ってます。ちょっと宗教じみた内容になってしまいますが、どこの宗教を推してるわけではありませんのであしからず。
私はそもそも「自分はなんてひどい人間なんだ」とか思う事なんて unsigned int を使ってもオーバーフローするほど自己否定ばっかですよ(苦笑)。しかももう45歳、アラフィフです。
小学校から高校卒業まで、イジメで泣いて家に帰ったとかそういう負の記憶ばかりですが、ようやく最近になって「今は幸せなんだな」と思うようになりました。(でもここ2年ぐらいは十二指腸潰瘍になるような事も多々ありましたが)
もちろん、いじめであれ適性であれ、そういうのは生まれ育った環境などで全く違いますから、100人いれば100通りの出発点があります。それを自分で選ぶことはできません。そんなの「神様」が設定したと思うしかないわけで。
最近、PHP文庫から出ている『心の整理学』と言う本を読んでいるのですが、色々あるある話が出てきます。生まれてきた環境などでどう違うかなども書かれてます。
まぁ、それ以外にも、『12のステップと12の伝統』という、アルコール依存症の自助グループで読む本にもいろいろ書かれてますが、そこでは無神論者、不可知論者、神様を信じていたけどやめてしまった人たちの例が色々と載ってます。そこでは自分を変えていく事が重要であって、他人は変えられない。これは鉄則です。
あと、家族であるとか地域であるとかでの考え方の違いとか、育てられ方、家族の問題などでも大きく変わってしまいます。親が神経質であるとかそういうこともあるでしょう。自分の性格は様々な要因によってちがってきます。だからといって親には親の事情がありますので、たとえ親が悪い場合だとしても、親を責めてはいけません。
で、「神様」って言葉が出てきてますが、「神様」はいるのか?いないのか?
現代の科学で「人間を含む動植物はなぜ生きているのか?」は未だに解き明かされてないですよね。世の中悲劇も奇跡もおきてます。今のところ宇宙が何故できたのか?ビッグバンのエネルギー源は一体どこから来たのか?なんてこともいまだに解き明かされていません。
だから、難しいことを抜きにして「神様」がそうされたのだ…と仮定した方がわかりやすいと思いますし信じやすいと思います。
「神様」を信じない人の多くは、危機的な状況などで「どんなに神様にお願いしても自分の願いが叶わなかった」とかそんな感じの理由で挫折や屈折をしてしまったパターンです。でも簡単に考え方を変えられるわけでもないですが。それこそ先ほどの文献をあたってもらった方が理解は早いかもしれません。
その上で「願い」が叶わない理由を考えてみましょう。
もちろんその「願い」の内容にもよりますが、もっと大事なのは、お願いするからには、その「神様」に対して「願いを叶えてもらえる」よう真摯に向き合っているのでしょうか?お願いする「神様」を粗末にしてませんか?自分の「願い」を叶えてもらうために、「神様」に認めてもらえるように、自分をよりよく変えていく必要があります。
で、運とかチャンスとか。確かに確率で決まる物もありますけど、やっぱそれは物事に対する態度とか心がけでより良く変わっていけば、まわりからも『この人なら任せられる』という風に思ってもらえるようになります。そういうことを少しずつ積み重ねていけば、そう言う運やチャンスは自分次第で寄ってくる物ではないでしょうか?もちろん100%ってのは無いでしょうけれども。それも「神様」がそうされたこと。
もちろん確率とか偏差値とかそういう数学的なものもいらないわけではない(そうでなければ統計学なんて成り立ちませんから)です。
どんなに過酷な過去があってもなくても、社会に認めてもらえるようによりよく自分を変えていくことを念頭に置いて動いた方が良いと思います。
もちろんその人の幸せの基準は当然違うので「金」とか「相方」とか「名誉」とか「地位」とかいろいろあるかとは思いますが…。
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