3.11からの記憶

考察 独り言
考察

東日本大震災から丸7年、思ったこととか色々振り返ってみる。まぁ、個人的見解も多分に含むのであくまでも「個人的見解であり、その正確性などを保証する物ではなく、当時の自分の誤解もそのまま書いてます。」って事だけ先に断っておきます。

2011年3月11日、当時はプログラマーとして職に就いてて、記憶の中では「けいおん!! LIVEイベント~Come with Me!!」の公演を見に行ったあとで比較的るんるんな頃だった気がする。

そして、3.11の1週間前ぐらいから、「なんか変な地震がおこってるなぁ」的な物は感じていたきがする。緊急地震速報のシステムがまだ出来上がったばかりで、iPhoneにアプリを入れてあった気はする。

仕事中に、2011.3.11 14:46のあの瞬間はやってきた。

今みたいにたとえマナーモードであってもスマホが大音響で鳴るなんてことはまだなくて、なんかバイブっぽい音がするなぁ…的な感覚で、なんだろう?と取り出したiPhoneの画面に会津で震度5予想がでていた。それを見た数秒後、揺れに見舞われた。最初は気持ちの悪いゆれがぐらっときて、そしてそのゆれはどんどん大きくなっていって、横揺れになったとたんに仕事場の棚の上にある本やらパソコンの周辺機器やら、とにかくあらゆる物が落ちてきた。それも、仕事用のPCだけでなく、私の個人用のMacBookにもだったので、正直いって必死に落ちてくる物を体で軌道を変えて護ってました。

とりあえず、その時の自分の被害は、マウス1個破損。それで済んでたことが、ある意味奇跡だったのかもしれない。

郡山に出張していた同僚が戻ってきて、事の重大さを知る。会社内でワンセグやラジオなどをつけて情報を入手してましたが、ふくしまFMは緊急放送になっていましたが、FM愛’sの放送は途絶えてました。ふくしまFMからは「津波が来ます!海沿いの地域の方は急いで高台へ避難してください!」の声が連呼されてました。それだけは鮮明に覚えてます。

当時は仕事で徹夜したりする事も多く、地震だからとは言っても自分の仕事がいっぱいあって、会社のパソコンもなんとか無事でしたし、取りあえずキリの良いところまで仕事して、夜になる頃歩いて親の家に夕飯を食べに寄って、しばらく様子を見て、自分の家に帰りました。そして、家に戻ると、 28インチの平面ブラウン管のテレビがテレビ台から落ちてました。というか、テレビ台の中にHDDレコーダーなどが入ってて、それを繋いでいる太いAVケーブルがぎりぎり床に落ちそうなところで引っかかってテレビが中ぶらりになってました。とはいえその頃作ってた戦闘機のプラモデルにぶつかってて、プラモデルは壊れてしまいました。

で、自分の家からネットが繋がらない。あとでわかったのは、NTTフレッツ光のプロバイダ中継をしている福島花園局で故障していて、それは結局翌日には治ってたような。

そのあと、仕事は震災だから納期が変わるわけでもなく、残業やら徹夜やら。そして、福島第一原子力発電所の建屋爆発という情報が入ってきた。

私の知人の中には酪農家ががおられます。早い段階で私は「福島県内の牛乳が風評で売れなくなる」ということが頭に浮かびました。多分チェルノブイリ原発事故の時の記憶もありましたからそういう連想が頭の中に出てきたのだと思います。即連絡をしてみると「牛乳の汚染は有り得ない」という返事が来ました。今になって考えれば、普通に出荷されている牛乳がそんな簡単に汚染されないのも解ります。でも結果として、福島県内の農産物への不安に日本はおろか海外でも尾ひれの付いた情報が駆け巡りました。

でも、そんな時でもTwitterで「まぁ取りあえず『酪王カフェオレを飲もう』」ってのが流行ったのがちょっとだけ救いだったかも。

フクイチの状況が深刻化していく中、Twitterではガイガー・カウンターを片手に被曝地域に乗り込んで勝手にデタラメ?な数値やら写真やらデータやらがかなり出回ってました。中にはストロンチウムだったかと思いますが、関東まで飛んでたとかいう情報(しかも海外から調べに来た?)があったのですが、未検出(ND)なのにデータ修正で検出ということにされた物だったり。まぁこの話蒸し返しても仕方ないですが。

あと、ガイガー・カウンターの正しい使い方を知らない人が多かったとか、たとえば、ガイガー・カウンターで放射線量を計るばあいはまず新品のビニール袋をかぶせて計測して、おわったらその袋は処分とか。他にも、放射線が人体に与える影響に関する書籍買ったら「フクイチが起こったから今までの書籍はもう使えないので捨てろ」とか言われたりもしたなぁ。まだ捨てずに家にあるけど。

あと、比較的近くに仮設住宅ができましたが、1ヶ月前くらいから取り壊しがはじまって、もうそろそろ新地になるのかな?

さて、プログラマーの仕事ができないほどに鬱が酷くなって、結局の所会社を辞めて、その後もいろいろあって、生活保護と自己破産のコンボという生活になり、時間だけが有り余って、20代だった頃に趣味で曲作ってたデータが見つかって、それを初音ミクに歌わせて…と言う経緯で気を紛らわすために曲作りをして今に至りますが、その間にいわきのチャリティーアイドルへの楽曲提供とかいろいろありまして、その後今のバイト先に繋がって…楽器ほとんどできないのにバンドに入ったりいろんな巡り合わせがあって、ここ最近やっと目標的な物ができたり、なぜか彼女ができたり、心理学の本とか読むようになったりで、いつの間にこんな自分が変わったんだ?という感じになってます。

災害臨時FM局「おだがいさまFM」などの番組に参加するようになったりもしましたし。それが縁でいろいろな世界が広がったのも大きな転換点で、震災やフクイチなどそのものは負かもしれませんが、それで得られたものも多くて、やはり「神様がそうされた」的な偶然で、いろんな物が変わってよい方向へ変化しつつあるなと実感もしてます。

「人生万事塞翁が馬」って言葉があるとおり、先がわからないのが人生ですので。過去はどんな手段を執っても変わることはありませんけど、やっぱ明るく生きていけるようにしないと、物事はよくならないんだなと。

これからもいろいろ無理せず頑張って(言葉が変?)生きていくしかないなと。生活保護脱却とか課題も多いですけど仕事も趣味も進めていかなきゃ意味が無い。

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